外務省に関するニュース


河北新報

外務省、文書破棄の可能性 多くは記録残らず
日本経済新聞
外務省の有識者委員会は解明にあたった4つの日米の密約のうち2つを「広義の密約」、1つを「狭義の密約」と認定した。歴代政権は密約の存在を否定し続けたため、真相解明に取り組んできた鳩山政権の一定の成果といえる。ただ密約の関連文書を外務省が破棄していた可能性 ...
密約報告書 日米同盟強化へ検証を生かせ(3月10日付・読売社説)読売新聞
見直し迫られる外交文書公開=外務省に根強い消極論-密約時事通信
日米密約:政府見解修正 外交文書公開ルール検討へ…外相毎日新聞
FNN -朝日新聞 -ブルームバーグ
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外務省局長が訪中、「6カ国」巡り協議
日本経済新聞
北朝鮮の核問題を巡る6カ国協議の日本首席代表を務める斎木昭隆外務省アジア大洋州局長は9日、北京入りし、同協議の議長国である中国の武大偉朝鮮半島問題特別代表と協議再開に向けて意見交換した。中国外務省の秦剛副報道局長は同日の記者会見で「最近、関係各国が密接 ...
外務省局長が北京入り時事通信
日中代表、6カ国協議再開で調整へMSN産経ニュース
アジア大洋州局長が中国訪問、6カ国協議巡り調整へ日本経済新聞

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内部調査結果も公表=外務省
時事通信
外務省は9日、日米間の「密約」に関する内部調査の結果を公表した。外務省に残された関連文書を調査した結果、1960年の日米安全保障条約改定時に交わした朝鮮半島有事の際に在日米軍基地の自由使用を認めた「密約」に関し、密約があったことを示す「朝鮮議事録」の ...

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温暖化対策支援を強調=09年版ODA白書-外務省
時事通信
岡田克也外相は9日の閣議に2009年版の政府開発援助(ODA)白書を報告した。白書は、鳩山由紀夫政権が温室効果ガス削減策の柱として、12年までに官民で総額1兆7500億円規模の開発途上国支援を掲げたことを紹介。「日本は先進国と途上国の架け橋となり、世界 ...

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毎日新聞

日米密約:外務省委が報告書 核持ち込みは「暗黙の合意」
毎日新聞
日米両政府の四つの外交「密約」を検証していた外務省の有識者委員会(座長・北岡伸一東大教授)は9日、報告書をまとめ、岡田克也外相に提出した。報告書は、1960年の日米安保条約改定時に「核搭載艦船の寄港・通過」を事前協議の対象外とする密約があったと指摘され ...

外務省関連エントリー

外務省ハジマタAA略

■「ポップ」で「カワイイ」大使 外務省は2月26日、若者のファッションを代表する女性3人を、「ポップカルチャー発信使(通称・カワイイ大使)」に任命した。選ばれたのは”ロリータ”の青木美沙子さん、”原宿系”の木村優さん ...

外務省ハジマタAA略

外務省★

今日はカワイイ大使就任式ということで 初めて外務省に行きました!! 中に入るには持ち物検査はもちろん、飛行機に乗る前のようなチェックを受け ... 外務省の偉い方々の挨拶や名刺交換などなど、別世界にいる感覚でした… そして 記者 ...

外務省★

同盟、外務省前で抗議活動

... 前で座り込み抗議活動を展開している反独裁民主主義同盟の一部のデモ隊が外務省向け移動を開始し、15:30前までに同省の二ヶ所の出入り口前を ... 【政治経済の最新記事】 同盟、外務省前で抗議活動 同盟、要求1つの受け入れだけで官邸前から ...

同盟、外務省前で抗議活動

外務省お墨付き「カワイイ大使」

ネオテニー化が進んで居るモンゴロイドは兎も角 白人や黒人の文化を何処迄 ネオテニー化可能なのかだろうし 日本に逃げるスファラディーはネオテニー化可能なのか どうかだが

外務省お墨付き「カワイイ大使」

竹島の日、外務省関係者は出席せず

竹島の日記念式典に外務省関係者は相変わらずの欠席。 日本海に関しては積極的なのに、竹島に関しては全くやる気が感じられないのは何故なのですかね。 ... 県が出席を呼び掛けていた外務省関係者は、4年連続で欠席した。 昨年7月 ...

竹島の日、外務省関係者は出席せず

外務省旅行記

ギザのピラミッドへローカルバスで往復して、翌日のアスワンへのフライトを取る@カイロ/エジプト(by みどりのくつしたさん)

外務省
1988年5月19日、アテネからエジプト航空機で、カイロへと飛んだ。
アテネの空港で知り合った日本女性がカイロ経由で日本へ帰るという。

ひょっとしてカイロくらいは一緒に見られないかと思ったが、トランジットだったので無理矢理別れさせられた。
彼女はトランジットホテルへと収容されてしまう。

2人でピラミッドを見れたら見ようという話をしていたので、1人でちょっと寂しくなる。
カイロの空港では、「政府公認ガイド」という連中がうるさいほどに寄ってくる。

タクシーの誘いを断って、僕はカイロ空港から27番のバスでカイロへと向かう(50ピアストル=30円)。
すると、客引きが一緒に乗り込んで、ホテルを紹介するとしつこい。

でも彼も、そろそろ家に帰るつもりだったらしく、タハリール広場で振り切った。
まあ、僕はそれまでに、しつこいので有名な、インドのリキシャーマンにも、モロッコのガイドにもでくわしたことがある。

カイロのガイドくらいを振り切るのは簡単だ。
「Lonely Planet」でめぼしをつけていた安宿「ホテルチューリップ」が満杯。

変な客引きに店に連れ込まれたりしたが、猛烈に暑い(43℃!)ので、考えがまとまらない。
こういう日は無理をしてはいけないと、タハリール広場に面した4つ星の「クレオパトラホテル」へ行ってみた。

すると、朝食つきでツインルームのシングルユースでたったの20ドルだ。
クーラーがガンガン効いた、ごく普通のシティホテル部屋なので、とにかくこれに決定。

翌日、タハリール広場から8番のバスに乗って(10ピアストル=6円)ピラミッド見物へ出かける。
バスの乗客に「ピラミッド!ピラミッド!」と話をしている。

普通の町並みを通っているときに、よってたかって、ここだと降ろされてしまう。
降りたところは普通の町並みなのだが、その向うにピラミッドが見えるよ。

つまり、ピラミッドは普通の民家やホテルのすぐ横にあるわけだ。
ただ、あとでわかったんだけれども、反対側にはよく写真で見る空間が広がってるだけどね。

国際学生証(ISIC)を見せて、ピラミッドの入場料は1.5ポンド(90円)に値切った。
クフ王のピラミッド、カフラー王のピラミッド、メンカウラー王のピラミッド。

このすべての中に入った。
もちろんそのあとは、定番のスフィンクスも見たし、世界最古の木造船「クフ王の船」を収めた太陽の船博物館も訪れる。

40度を超す中、外を歩き回り、ピラミッドの中を歩きと、とにかく身体が疲れている。
またバスに乗って、カイロの中心部へと戻る。

すぐにカイロ鉄道駅へ行った。
翌日のアスワン行き列車の予約を取ろうと考えたのだ。

ところが、どの窓口で切符を買ったらいいのかわからない。
案内所みたいなところもみつからず、とにかくどの窓口にも長い列があった。

世界旅行者の特徴はとにかく諦めが早いこと。
このときはもともとどんな列車があるのかも、全く知らなかった。

それに、いまカイロにいるのは、ケニアへ飛ぶ途中のストップオーバーだ。
ナイロビに飛ぶ予約は6月13日に予約が入っている。

つまり、エジプト滞在は2週間。
いまエジプトでのんびりと時間を使うわけにはいかない。

一番南のアスワンまで一気に移動したあとで、ところどころ寄りながらカイロへ戻ってきた方がいいだろう。
これが「一番見たいものを最初に見てしまう」という世界旅行主義だ。

ウィンピーでハンバーガーを食べていたら、フィリピン人の出稼ぎ労働者が話しかけてきた。
なんとなく、コーラをおごってあげたりする。

そのあと「ナイルヒルトン」へ両替に行ったら、エジプトエアのオフィスを発見。
一気にカイロからアスワンまで飛んでしまうことに決めて、翌朝のフライトを予約する(片道125.30ポンド=約7500円)。

クレオパトラホテルの地下に、韓国人経営のなぜか「九龍レストラン」がある。
ここは、いかにも韓国レストランらしく、無料のキムチの小皿がずらりと並ぶ。

外務省の留学生と、建設プロジェクトのエンジニアとホテルのロビーで会う。
一緒に九龍レストランへ行くと、そこでなかなか色っぽい日本女性二人と会う。

一緒に食事をして話をする。
この日本女性はなんと、ナイル川を現地のボートで、欧米人旅行者と一緒に下ってきたそうだ。

おっぱいが大きい上にタンクトップなので、脇からおっぱいが観察できる。
さすがの僕もちょっと興奮してしまった。

彼女は明日、日本へ帰国するとのこと。
僕もだいたい同じ時刻に空港からアスワンへ飛ぶ。

そこで、明日タクシーを相乗りして、一緒に空港へ行くことに話を決める。
明朝午前7時に、クレオパトラホテルのロビーで待ち合わせ。

ということは、彼女は旅の最後の夜というわけだ。
しかも明朝午前7時にホテルで待ち合わせ…。

それなら、彼女は僕の豪華なツインルームに泊まった方がいい、というかそれが自然じゃないかな。
楽しい思い出も作れるしさ♪

でも、彼女は一緒に泊まっている女性に気を使ったのか、安宿へと戻ってしまった…。
だから僕は言うんだけどさ、「女性はひとり旅の方がいい」ってね。

まあ、世の中、チャンスというものは何度も巡ってくるものではないんだよ。
結局何もなかったけれど、ちょっと心残りだったね。

【旅行哲学】旅先の恋はその場で決めないとダメだ。

  • http://homepage3.nifty.com/worldtraveller/africa/giza.htm


  • 【旅行時期】1988/05/~1988/05/
    【エリア】カイロ
    【テーマ】世界一周
    【投稿者】みどりのくつした

    パプアニューギニアの旅1  準備編  ( 7.20~23、8.9 )(by ライオンベラーさん)

    外務省
     今年もまとまった休みがとれました。

     昔はとても考えられないようなことでした。

     1年中、朝も昼も夕方も、時としては夜遅くまでも、土曜日も日曜日も祭日も、ずっと仕事漬(づ)けの毎日でした。

     盆と正月のわずかな期間を除いては、とても休みなどとれるような環境にはありませんでした。

     でも最近は、ようやく休めるようになってきました。

     ああ、ようやく人間らしい生活が送れるような世の中になってきたんだなあ・・・と、感謝しながら、旅に出ることにしました。

     長年の酷使のためにもう身体はボロ布状態です。

     まだまだ仕事は大変ですが、旅こそが心身のリハビリテーションだと思って割り切って、思いっきり羽を伸ばして来ようと思いました。


     日本地図を見ながら行き先を考えましたが、今、一番行って見たいのはもう、ここしかありません。

     パプアニューギニアです!


     しかし・・・

     外務省の情報ではここは、渡航危険地域になっていました。

     ああ、まだまだいろいろなところに行ってみたいと思っているのにこんなところでくたばってしまっては、たまりません。

     おおお、どうしようか・・・。

     よし、ここはもう、冒険はお預けにして、ゆっくり観光に専念しよう。

     と、いうことで団体ツアーを探し、申し込みました。


     しかし、ツアーでも危険度は同じなのだろうか?

     それとも、ツアーならばそれほど心配しなくてもいいのだろうか・・・?

     そのような不安はありましたが、とにかくそれ以上は考えないことにして、旅の準備を始めました。


     パプアニューギニアに入国するためにはビザが必要です。

     旅行社に頼むこともできますが、手数料がかかります。

     その手数料はちょうど東京まで往復する旅費ぐらいです。

     ということは、旅行社に頼んでも自分で取りに行ってもかかる経費はほぼ同じぐらいということになります。

     と、いうことは旅行社に依頼する方が、わずらわしい手間がかからないだけ、得なのでしょうか?

     いやいや、考えようによっては、自分で取得すればただで(無料で)東京旅行ができることになります。

     よし、自分で取りに行こう!

    と、いうことで7月の末に自家用車で東京までビザを取りに行くことにしました。

    【旅行時期】2008/08/10~2008/08/10
    【エリア】パプアニューギニア
    【テーマ】
    【投稿者】ライオンベラー

    Somalia(by kmさん)

    外務省
    外務省より退避勧告が出ているので情報提供を自粛しています。
  • http://4travel.jp/traveler/km/profile/

  • 【旅行時期】2005/04/~2005/05/
    【エリア】ソマリア
    【テーマ】
    【投稿者】km

    Liberia(by kmさん)

    外務省
    Freetown-Monrovia-Abidjan by air

    *モンロビアのカリスマ・ネールアーチスト
    写真は、歩くマニキュア屋さん。色とりどりのマニキュアボトルが詰まった小さなかごをぶら下げて町を徘徊しながら、木陰で腰を下ろす。椅子も雑誌も人目を遮るスクリーンもないけれど、木陰はたちまちネイルサロンに変わる。携帯電話で呼び出しを受ければ出張サービスだって可能だ。ボトルをたくさん買う余裕はないけれど、毎回色を変えたいという、モンロビアのおしゃれな女性の需要をうまくつかんだビジネス。男性が街角で靴を磨かせてプチリッチな気分を味わうように、女性客もつかの間の女王様気分を味わっているのだろうか。他人の爪を切るだけでも難しいことなのに、かれは女性客の爪きり・爪磨き、マニキュアぬりを、惚れ惚れするようなリズム、スピード、手さばきで美しくこなしてゆく。話術も一流なのか会話も弾んでいた。女性はそんな彼の常連顧客のよう。彼はモンロビアのカリスマ・ネイルアーチストなのかもしれない。

    リベリアは内戦は2004年8月に終結しているものの、やや治安に不安が残る。2006年1月にアフリカ初の大統領がこの国で誕生した。ニュースを見ている限り大胆に汚職撲滅に取り組んでいるよう。5年たったらまた訪問してみたい国だ。

    *紛争地で生活50年超、仏人P氏のこと

    *5ドルのおもてなし
    世界各地、習慣がそれぞれ異なるように、旅人のもてなし方もさまざまだ。中東では50mごとにお茶につきあわされることもあるし、遊牧民族は一般に宿・飯の提供を当然のように思っているし、某地域では女性による歓待だってあった(丁重にお断りしましたが)。リベリアでは、「どこから来た、何してる」といったありきたりの会話のあと、現金を渡されることが複数回あった。額は決まって5リベリアドルだ。「何これ、現金は困るよ・・・」と笑って断ろうとすると、「コーラでも買って飲みなさい」というリベリア流の接待なのだという。かつては1USD=1リベリアドルだったので、5ドルは2人で夕食が取れる金額だった。ところが内戦に伴うインフレでLドルは暴落、訪問時2005年8月時点で1USD=60LDしかなかった。渡された5Lドルは10円足らず。もはやコーラ一本すら買えやしないのだ。奇妙な「伝統」に苦笑しつつありがたくお札をいただいた。コーラをおごってもらうよりも心温まるもてなしではないか。

    !!!2006年3月末日現在、リベリアのほぼ全域に、外務省より退避勧告が発令されています!!!

  • http://4travel.jp/traveler/km/profile/




  • 【旅行時期】2005/08/~2005/09/
    【エリア】リベリア
    【テーマ】
    【投稿者】km

    イベリア半島旅行記(2):3月11日セントレア空港から、アムステルダム経由マドリードへ(by 旅人のくまさんさん)

    外務省
    <2005年3月11日(金)>

     先月の17日に開港したばかりですから、セントレア国際空港からの出発は今回が初めてです。アクセスを確認するため、下調べをしておきました。
     その時は、往きは赤池からの高速バスで、帰りは金山経由の名鉄電車にしました。荷物がある場合は、赤池コースも魅力的ですが、まだ本数が少なく、早い時間以外は、1時間に1本の割合です。それで、朝の早い時間で余裕のない今回は、金山経由のコースにしました。

    <名古屋空港集合、成田へ>
     早い時間なので、金山駅までの地下鉄は空いていました。何しろ、5時台の始発でした。金山からも直ぐに空港往きの電車に乗れましたので、予定の7時より随分と早く、6時半には着いてしまいました。
     空港カウンターでの受付は国際線の一番奥の1・2番カウンターでした。まだ運用が軌道に乗る前の体制でしょうか、誘導や案内のための人員配置が目に付きました。このカウンターでも同じでした。その案内の人に誘導されてカウンターに行きましたが、「まだ時間前です。添乗員の人が纏めて手続きしてください」との返事でした。
     少し受け付け時間を過ぎた後で、もう一度このカウンターに顔を出しましたら、直ぐに受け付けてくれて、JTBさんの説明会場の部屋番号を教えてもらいました。何かと慣れていない時期ですから、これくらいは仕方がありません。その、説明会場では、三々五々に説明が行われていました。添乗員の方は、2日前に旅行の確認電話を入れて戴いたTmさんでした。7泊8日の旅行の始まりです。
     2月の名古屋空港からの出発の時は免税店が引越し途中でした。このため、私の旅の友のオールド・パーが手にいりませんでした。しかし、今度は大丈夫でした。出発前に買っていても、帰りには荷物にはなりませんので大丈夫です。
     セントレアの出発は9時でした。成田空港をハブとしての飛行ですから、少々、出発が遅れても乗り継ぎには心配ありません。出国手続きはこのセントレア空港の方でした。1時間程のフライトです。

    <成田出発、アムステルダムへ>
     これまでは、名古屋からの直行便を原則に、旅行計画を立てていましたから、実は成田空港へ立ち寄ったのは初めてでした。何となく、乗換えが億劫な感じもしましたし、ヨーロッパ方面へは逆戻りの飛行の点も引っ掛かるものがありました。
     成田では3時間以上の待ち時間がありましたから、軽食と生ビールを飲んだりしながら時間を潰しました。予定時刻では13時30分に成田発ですから、機内食が出ても15時頃になる可能性があったためです。この時間を利用して何通かのEメールも打っておきました。
     成田からアムステルダムまでは、同じJALですが乗り換えてJL411便でした。後ろから2列目で、完全に近い満席状態でした。ロシア領内に入る飛行ルートは良く分かりませんでした。飛び立って暫くは飛行案内の画面がなかったためです。
     帰りの飛行ルートから推測しますと、日本列島を縦断して北上し、日本海を超えた後は、直ぐにロシア領内に入ったようです。帰りは佐渡ケ島の東側をほとんど真南方向に飛行していました。 大陸から海に出た時に流氷が見えましたから、かなり北部で日本海に出たようです。北京からウランバートル近くを通った、小牧の名古屋空港からの飛行ルートとは、明らかに違うようでした。
     成田発が13時30分、アムステルダム到着予定が17時35分ですから、時差の8時間を加えますと、約12時間のフライトです。後半では、座席でストレッチ運動をして、エコノミー・シンドロームにならないよう気をつけました。画面でもその手ほどきの番組を流していました。最近は、どの航空会社でも実施しているようです。

    <シベリア上空の印象>
     シベリア上空経由でヨーロッパへ向かう時は、この時間が無限に思えるほど長く感じます。それで、退屈しないよう、眼下に広がるシベリアの耕地を眺めながら印象を纏めました。往きのこの時間に眠ってしまうと、スペインについてからの行動に影響が出ます。その逆に帰りは無理にでも休むことにしています。
     その時のメモです。「なだらかな丘陵と、曲がりくねった川、その川は全て白い帯。30分見続けていても同じ景色の連続。民家や人の手にかかったような構造物も一切見当たらない。雪や氷が少ない場所は、褐色の荒地。多分、これは永久凍土。白い帯が広くなったところが広い川、これに注ぐ川は幾何学模様に曲りくねった細い帯。時としてループのような形も。丘陵地帯が切れた平地では一面の白。窓には氷の結晶が付着。外気温はマイナス64度C、飛行速度は865km/h」などでした。
     やはり、こんな景色の連続では、眠気が襲ってくるのは止むを得ません。後は、手元の画面でビデオを楽しむことにしました。アニメ、外国映画、日本の時代劇等の番組がありました。エンドレスのビデオ放送です。途中から見始めた場合、もう一度、前に戻って始めの方を見ました。
     ところどころ気流の悪い箇所を飛行しましたが、予めアナウンスで放送されていましたので、何のトラブルもない、順調な飛行でした。もちろん私の場合、用事で席を立った時以外は、全てシートベルトを着用していますから、少々のことは大丈夫です。機内放送でも、シートベルトの着用が、繰り返し流されていました。

    <アムステルダム到着、マドリッドへ>
     シベリア上空を過ぎて、ウラル山脈を越えると少しほっとします。しかし、これから先の飛行時間もたっぷりとあります。モスクワの北を通って、サンクトペテルグルグ付近を過ぎ、それから更に西に飛んでヨーロッパの東端です。
     アムステルダムからマドリッドまでの飛行は、イベリア・スペイン航空機でした。JALとの提携飛行です。Tmさんから「ここからマドリッドまでの飛行機は、基本的には飲み物サービス等はありませんから、各自で用意して置いてください。ホテルへ到着するのも夜ですから、このことも計算に入れてください」といった趣旨の説明をしてくれていました。それで、アムステルダムでの待ち時間の間で軽食を済ませ、ホテルに到着した夜に備えて、つまみを買っておきました。
     アムステルダム空港の印象です。さすがにヨーロッパのハブ空港だけあって、規模も大きく、待ち時間を過ごすには設備も整っています。お土産品を選ぶのにも好都合です。通路の真ん中の目立ちやすい場所には、日本からの出店と思われる鮨屋さんも見かけました。

    <マドリッド到着、ホテルへ>
     アムステルダムの出発が30分程遅れましたから、マドリッドには22時30分頃に着きました。当初予定より30分遅れです、まずまずの時間でしょう。空港内での移動の時に撮った写真には22時38分の電光表示がありました。
     全員の荷物が無事に届いて、迎えのバスに乗りました。メモには23時19分、空港出発とありました。やはり荷物出しには30分程の時間がかかりました。1時間以上かかることもあるようです。この時の外気温は9度Cでしたから、少しひんやりはするものの、出発した名古屋とは余り違わない気温でした。コート無しで名古屋を出発しましたが、どうやら正解だったようです。
     出迎えてくれた現地ガイドさんは、たまたま同じ名古屋の西区に住まわれているベテランガイドの杉本さんでした。スペインでのお仕事で、5年程はマドリッドに住まわれているようでした。バスの中での案内では、「田舎の雰囲気が残っているポルトガルが好きです」の言葉が印象に残りました。時々、日本へも帰られているようです。予め竹村さんからお聞きしていたマドリッドの治安問題も、繰り返して注意がありました。
     「スペインに渡航される皆様方へ」のタイトルで、2003年6月10日付けで出された外務省の海外危険情報では、「首絞め強盗」の話が注意喚起されていました。2001年には実に263件の日本大使館への届出があり、その後の注意喚起で減少はしていますが、マドリッドを中心に相当数の強盗被害が発生しています。
     被害の特徴は、全体の8割が土曜、祝日を含めた休日に発生していることと、個人旅行者が主に狙われていることのようです。いきなり頭を殴られて気絶をさせられるなど、怖い犯罪です。持ち去られるのは金品のほか、パスポートです。闇市場で高価な値段で取引されているようです。
     空港からホテルまでは1時間はかかりませんでしたが、深夜になって仕舞いました。この日はシャワーを浴びて寝るだけでした。シャワーの前に薄い水割りを作って、この日のメモを簡単に整理しておきました。まずは順調な旅行の始まりです。


      シベリア中空で
     荒涼の山野は氷に閉されて生の営み目には映らず

     彩の少き広きツンドラの時は止りて遅々と進まず

    【旅行時期】2005/03/11~2005/11/18
    【エリア】マドリード
    【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
    【投稿者】旅人のくまさん

    外務省に関する質問

    外務省 外務省に外交をやらせることは国益になるのか?

    外務省が、これまでやってきた事、外務省職員の能力と意識からみて、外務省が日本の外交を担うことは、日本の国益になることだろうか?

      外務省に外交をやらせることは国益になるのか?の詳細


    外務省 外務省の「国の方針」への関わり

    する、という事は知っています、、では「国の方針」とは内閣総理大臣・参議院・衆議院などの国会で決めることで外務省としては「国の方針」に従うだけなのでしょうか?外務省としても、「国の方針」の決定権などは無いの

      外務省の「国の方針」への関わりの詳細


    外務省 外務省、国連関連の仕事とは??

    バイト先で一緒だった人がしきりに将来は英語を使って外務省関連の仕事や国連関連の仕事をしたい、と言っていたのが気になります概念がとても広いと思うのですが皆さんは外務省関連、国連関連といえばどのような物があるのでしょう

      外務省、国連関連の仕事とは??の詳細


    外務省 クリーンになった外務省???

    さんの影響で、ゴミもホコリもバケモノもたくさん出てきた外務省ですが、川口さんになってから、その類の話題は全くありません。どうも世間のその他のゴタゴタに紛れてしまっているように思えてならないのですが、外務省って、心を入れかえてクリーンな機関

      クリーンになった外務省???の詳細


    外務省 国家一種 経済職から外務省はありますか?

    いるのですが、この区分から外務省に採用されることはほとんどないのでしょうか?やはり法律職のほうがつぶしが効く、と聞きます。あるサイトを見ましたが、外務省の試験区分別採用人数は法律職が11人で外務省は一人でした。(

      国家一種 経済職から外務省はありますか?の詳細